牛女のときおり徒然草

- 長月〜神無月の頃 (10/30/2025)

長月〜神無月の頃
秋を味わう暇もなく、暦の上ではもう立冬、新暦では11月7日となっており、11月の牛女印房営業日は立冬から始まります。
さて、この季節、なんと言っても食欲の秋
牛女は基本都会暮らしなので、例年ですと何とかお財布を遣り繰りし、少々の松茸を買い松茸ご飯をつくるのですが、、、
今年はあまりに値段が高くて文字通り手が出ない。他のキノコにするかとも思いましたが、「うーむ、やっぱり松茸」とスーパーの商品棚を何度も行ったり来たりし、仕方ないから松茸ご飯の元に手を出すと、これもそこそこ高い。20分かけて松茸入り茶碗蒸しを2つ買い、ちょっと悲しい帰宅となりました。
里山近くにお住まいの方はキノコ狩りや栗拾いが楽しめる季節ですが、今年は熊の被害が恐ろしく、慣れた方でもおいそれと山に入れませんね。
山の食べ物が少ないから庭先に放置されている柿の木が狙われるそうです。
どうせ放置してるんだから、「栗も柿もキノコもあげるから人は食べないでね」とか言えたらいいのに。食べきれない食物あげられたらいいのに。熊語翻訳機できたらいいのに。
とか思ってしまいますが、いえいえそんな話ではありません。
熊にしたら生きる為に必死です。人間だって喰えるなら喰うのです。私がスーパーで買おうとしていた松茸は中国産、食料品の値上がりは世界中で起こっているし、それ以前に戦争や災害で飢えている人間すらいる。
世界中の事を考えると頭がパニックになるので、取り敢えず自分の事だけ考えると、自分の食べるものを自分で確保できていない!日本の国内産ですらない。これは、もしかしたらいずれ日本人絶滅に向かっている危機的状況かもしれません。人に危害があるならば、もう熊との共存は無理なのでしょうか?
こうやって人は他の野生動物を滅ぼしていくしかないのでしょうか?
人を含め、全ての生きものが自然から生まれたのに、人は母なる自然を経済効果のために貪り食う妖怪になってしまっている気がします。
例えば、国土の狭い日本で熊の生息圏を少なからず奪ったゴルフ場建設や高速道路は人間が生きる為にどうしても必要だったのでしょうか?
開発を急げば急ぐほど,終幕もまた、早まる気がしてしまいます。世界中でも自然の豊かさでは、随一と言われる小さな国。
日本は、自然との付き合い方を良く知っていた。それが戦後の西洋化で、島国であるにも関わらず大陸並みの開発に勤しんでしまったけれど、今残っている美しい風景は少しでも長く次世代に繋いで行きたい。
日本中が自らの豊かさに気づいて、自然の宝庫の山、清流、そこで暮らす動植物をもっともっと大切にして、誇りを持って暮らしを育んでいけたらと願わずにはおれません。
牛女
- 葉月〜長月の頃 (9/30/2025)

葉月〜長月の頃
新米の美味しい季節となりました。
毎年この時期はちょっと贅沢して高いお米の新米を食べていましたが、今年はもう新米なんて無理〜という感じです。どうしてこんなにお米の値段が高くなってしまったのかしら?
温暖化でお米が不作? 輸送費が高い?
テレビのニュースで、定食屋さんが安いメキシコの輸入米で対応し,食べてる人達も「全然変わらないです、美味しいですよ」と言っています。温暖化なら地球規模の不作のはずだし、地球の裏側から運ぶ方が輸送費も高いはずなのに日本で売られる米は外国産のほうが安い。
円高だからなの? それが経済というものなのかな? なぜ?がいっぱいのお米価格。
政府は備蓄米を少し安価でだしてくれたけど、備蓄米ってそもそもなんですか? 価格が上がった時用に備蓄しているのでしょうか? 備蓄米を備蓄しなかったら災害時とか、絶対にあってはならないけど戦争とか、大丈夫でしょうか?お米が高いからパンや麺類に変えている方も多いと聞きますが、やはり炊き立てご飯に生卵は日本人の醍醐味。毎年黄金の稲が実りそれが家族の食卓へやってくる。なんという喜び!味噌汁とご飯と漬物があれば、私は生きていける。美味しいことは幸せです。炭水化物ダイエットなんて絶対にできません。例え豚の様になってもお米は食べたい。
そして、日本にとってお米は主食というだけではなく国土保全としても大切だとされています。
山間部の美しい棚田も富士山を臨むゆったりとした田んぼの風景も、外国人観光客のための観光名所ではなく、自然と日本人をつなぐかすがいのようなもの。そこには是非お金をかけても守りたいもの。政府の対策、備蓄米放出ではなく、農家から高く買取り安価で国民に供給する。田んぼを増やして米自給率をせめて60%くらいにはして欲しいなあ!と私は思うのです。
牛女
- 徒然草 葉月の頃 (8/28/2025)

徒然草 葉月の頃
縁あって,修学旅行以来の十和田湖に行ってきました。十和田湖が冬でも凍らないのは常に風が吹いているからだとか。自分は地球の一部だぞというように風に水面をなびかせて、日の光にキラキラ輝く美しい十和田湖を眺めていると,心がすーっと洗われた気がしました。
頭の良い人間が、快適な環境を作れば作る程、地球は崩れている様な気がします。
今年は世界的に蜜蜂が減っていて蜂蜜の量も少なくなっています。ピラミッドの時代から人と共存してきた蜜蜂が消えてしまう時が来るかと思うと何だか恐ろしい。
命のサイクルが短い生命体の方が環境に対する耐性をつけやすいと考えると、人間の様に100年近く生きる命は滅びて行き、毒々しい熱帯の昆虫たちが地球にはびこったりするかしら なんて考えてます。
まあ,それはそれで自然と言えるのかもしれませんが、人の叡智で森や海や豊かな土を育む努力を少しでもできればと思っております。
