のほほん散歩道

vol.01 何故、<茶色>は茶色なのか?

子供に絵を描かせ色を塗らせると、地面(土)は<茶色>で表現される。舗装とか土質、明暗だの屁理屈はさておき、地面の色は<茶色>が基本であろう。「土色に塗る」という言い方は聞いたことが無い。
せいぜい、農業を営む方が土壌の良し悪しの表現方法として「土の色」と仰ったり、同様に陶芸家の方が土(粘土)の質を吟味される場合ぐらいだろうか。

それに対して、我々が一般的に親しんでいるお茶の色は、黄色ないし薄い緑色であり、ペットボトルで売られているお茶にしても、煎れてから時間が経ち、多少の変色があったとしても<茶色>と呼べる色にはなっていない。

欧米諸国では日本食文化の広まりとともに、日本のお茶が広まったと言われているが、日本式のお茶は明治時代以前から英国の一部では飲まれていたらしい。英国では、お茶といえば日本でいう紅茶をさし、日本でいうお茶は緑茶(グリーンティ)と呼んでいたようである(今ではjapanesetea、もしくはochaとも呼ぶらしい)。英国人ですら<緑色>と言わしめた表現と実物のイメージは何故、合致しないのか?

その答えは、ちょっと発想を切り替えてみると推理できる。ヒントはよく見かけるペットボトルのお茶である。と言ってもメーカーの話ではない、一緒に並んでいる「烏龍茶」である。広まりの当初は多少クセがあったが徐々に飲みやすい味となり、飲み屋ではウーロン・ハイが定番化し、焼き肉屋などを中心として飲食店のメニューにも見かけるのが当たり前となっている。食事の際の脂肪吸収を抑制するというので、若い女性には特に人気が高い飲み物であろう。
改めてその色をよく見ていただきたい、こちらこそ<茶色>そのものではないか。多少の色の差はあれども、日本茶に比べれば正解に近い色ではないか。また、烏龍茶以外にも鉄観音茶など様々なお茶があるが、産地や製法を除けば同じ「茶の木」であり、紅茶も同様である。 お茶はもともと中国から薬湯として伝えられたものが、遣唐使やら遣隋使・留学僧らによって種子(苗木という説もある)が持ち帰られて、栽培方法が伝わり広まったとされているが、精製方法というのか加工方法については正しく伝わらなかったのか、日本の気候風土に中国式の製法があわなかったのか、いずれにしても蒸して乾燥させる?

ところで最近は聞かなくなった言葉に「お茶を挽く」というのがあり、吉原の名指し(指名)の無い花魁が手持ち無沙汰にお客にだすための抹茶を挽いていたことに由来する。「お茶挽き」といえば人気のない花魁をさし、「お茶を挽く」といえばヒマなこと意味したことから、花柳界でも同様につかわれている。
何気なく使っている言葉でも、考えてみれば不思議な言葉もあるものである。

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