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牛女のときおり徒然草

  • 葉月〜長月の頃 (9/30/2025)

    葉月〜長月の頃

    新米の美味しい季節となりました。
    毎年この時期はちょっと贅沢して高いお米の新米を食べていましたが、今年はもう新米なんて無理〜という感じです。

    どうしてこんなにお米の値段が高くなってしまったのかしら?
    温暖化でお米が不作? 輸送費が高い?
    テレビのニュースで、定食屋さんが安いメキシコの輸入米で対応し,食べてる人達も「全然変わらないです、美味しいですよ」と言っています。

    温暖化なら地球規模の不作のはずだし、地球の裏側から運ぶ方が輸送費も高いはずなのに日本で売られる米は外国産のほうが安い。
    円高だからなの? それが経済というものなのかな? なぜ?がいっぱいのお米価格。
    政府は備蓄米を少し安価でだしてくれたけど、備蓄米ってそもそもなんですか? 価格が上がった時用に備蓄しているのでしょうか? 備蓄米を備蓄しなかったら災害時とか、絶対にあってはならないけど戦争とか、大丈夫でしょうか?

    お米が高いからパンや麺類に変えている方も多いと聞きますが、やはり炊き立てご飯に生卵は日本人の醍醐味。毎年黄金の稲が実りそれが家族の食卓へやってくる。なんという喜び!味噌汁とご飯と漬物があれば、私は生きていける。美味しいことは幸せです。炭水化物ダイエットなんて絶対にできません。例え豚の様になってもお米は食べたい。

    そして、日本にとってお米は主食というだけではなく国土保全としても大切だとされています。
    山間部の美しい棚田も富士山を臨むゆったりとした田んぼの風景も、外国人観光客のための観光名所ではなく、自然と日本人をつなぐかすがいのようなもの。そこには是非お金をかけても守りたいもの。

    政府の対策、備蓄米放出ではなく、農家から高く買取り安価で国民に供給する。田んぼを増やして米自給率をせめて60%くらいにはして欲しいなあ!と私は思うのです。

    牛女


  • 徒然草 葉月の頃 (8/28/2025)

    徒然草 葉月の頃

    縁あって,修学旅行以来の十和田湖に行ってきました。十和田湖が冬でも凍らないのは常に風が吹いているからだとか。自分は地球の一部だぞというように風に水面をなびかせて、日の光にキラキラ輝く美しい十和田湖を眺めていると,心がすーっと洗われた気がしました。

    頭の良い人間が、快適な環境を作れば作る程、地球は崩れている様な気がします。

    今年は世界的に蜜蜂が減っていて蜂蜜の量も少なくなっています。ピラミッドの時代から人と共存してきた蜜蜂が消えてしまう時が来るかと思うと何だか恐ろしい。

    命のサイクルが短い生命体の方が環境に対する耐性をつけやすいと考えると、人間の様に100年近く生きる命は滅びて行き、毒々しい熱帯の昆虫たちが地球にはびこったりするかしら なんて考えてます。

    まあ,それはそれで自然と言えるのかもしれませんが、人の叡智で森や海や豊かな土を育む努力を少しでもできればと思っております。


  • 徒然草 皐月〜水無月の頃 (5/31/2025)

    徒然草 皐月〜水無月の頃

    東京では雨の似合う紫陽花が咲き始め、梅雨を心待ちにしているかのよう。
    旧暦の二十四節気では、既に立夏を過ぎ小満の頃。動物も植物も昆虫も人間も、全ての命が満ちていき、日を浴びて輝く頃とされています。
    私も雨に打たれ、心洗われ、日を浴びてキラキラしたいなぁと思いますが、そう簡単に行かないのが人間の性ですかね。

    先日いらしたお客様が、手土産を忘れてきてしまったとのことで、わざわざ宅急便で送ってくださいました。
    開けてみると〈蓮もち〉というもので蓮の根からとる蓮粉と和三盆糖蜜を練りあげた上品なお菓子。私は食いしん坊なので早速頂きました。透き通ってプルプルで、ほんのり甘く、香りは高級なブランデーの様な深みがあり、初体験の味。この季節のジメジメを忘れさせてくれる、美味しく素敵なお菓子でした。

    蓮というから、ついつい大きくて美しい花を連想し、根っこってどんなだっけ? とうっかり考えてしまいましたが、あっ、私の大好きなレンコンだぁと気づきました。
    レンコンはビタミンCとカリウムが豊富でお肌を潤し心のざわつきを鎮めてくれるそうです。今の私にタイムリーなお菓子です。

    時に、漢方では相似の理論というのがあるようです。人も植物も地球上の同じ生命体なのである一面似ているものと言う考え方だそうです。その観点から人間の下半身が植物の根に当たるとされ、人の下半身の病にはレンコンなどの根菜類が効果的なのだとか。
    古来から種を保存し続けているだけありますよね。

    蓮を使ったことわざに「一蓮托生」と言うのがあります。この言葉、俺とお前は一蓮托生だとかで、意気込んだ感じでよく使われる気がするのですが、調べてみたらもっとロマンチックな「蓮の台(うてな)の半座を分かつ」と同義語になっており、死んだあと極楽に行ったら一枚の蓮の葉に座り、いつまでも2人で幸せでいようね。と言う意味でした。

    蓮の台の半座を分かつ こんな風に思えるお相手がいたらとっても幸せですよね。
    因みに88歳の私の母は、察するところ、父と2人で蓮の台の半座を分かつつもりでいる様な気がします。そうなるといいなぁ!   

    皆様はいかがですか⁈