牛女のときおり徒然草

- 神在月〜霜月の頃 (12/1/2025)

神在月〜霜月の頃
暦が残り少なくなりました。
明治初期まで日本で使用されていた旧暦は太陽暦と太陰暦を併せたものとされており、まさに月日、月と太陽に基づいているのですね。
ご存知の方も多いと思いますが、春夏秋冬の季節の中にさらに細かく六つに分かれる節気が二十四あり、またその中が三つに分かれる七十二の候があります。例えば、新暦12月の頭辺りから5〜6日の間は小雪の末候「橘始めて黄なり」(橘の実が始めて黄色く色づく) 、そう言えば、牛女印房の窓の外にいつの間にか木が茂り大きな柑橘がなっているけれど、あれ橘だったりしないかな〜、だったら嬉しい。柑橘の中で橘だけが日本の野生種だそうです。
話が脱線しましたが、その次は大雪の初候「閉(そら)寒く冬と成る」寒さと閉塞感が感じられるのでしょうか?
その次の5日間くらいが、大雪の次候「熊穴に蟄る」そして末候と続き、冬至に入っていきます。
ほんの一部をとってみても日本人の暮らしがいかに自然界に寄り添い共存してきたかが感じられ、それを美としても捉えていることがわかります。
日本人ってなんて素敵なんでしょう! そして豊かな自然に培われた感性は日本人が世界に誇れるものではないでしょうか?それが毎年どんどん無くなっている。今年は熊も穴にこもってくれません! ニュースでは「熊の駆除に銃が解禁!」って、共存してきた命はいつのまにか害獣になってしまった。もっと前に予測して対策できたら良かったのにと思いつつも、そのうち宇宙人が来て、人間は汚染された害獣だから駆除しようとなるのかもねと、不貞腐れたりしちゃいます。
自分もいつの間にか衰え、お店に入っても注文することもできなかったり、現金でしか物買えなかったり、ボロボロ生きておりますが、でも、自分が生きているあいだは、ほんの小さな事でもやり続けて、自然界と仲良く生きて行きたいと思っております。無駄でもいいから足掻き続ける。
2026年が真の意味で良い年になります様願って、師走に突入。
牛女
- 長月〜神無月の頃 (10/30/2025)

長月〜神無月の頃
秋を味わう暇もなく、暦の上ではもう立冬、新暦では11月7日となっており、11月の牛女印房営業日は立冬から始まります。
さて、この季節、なんと言っても食欲の秋
牛女は基本都会暮らしなので、例年ですと何とかお財布を遣り繰りし、少々の松茸を買い松茸ご飯をつくるのですが、、、
今年はあまりに値段が高くて文字通り手が出ない。他のキノコにするかとも思いましたが、「うーむ、やっぱり松茸」とスーパーの商品棚を何度も行ったり来たりし、仕方ないから松茸ご飯の元に手を出すと、これもそこそこ高い。20分かけて松茸入り茶碗蒸しを2つ買い、ちょっと悲しい帰宅となりました。
里山近くにお住まいの方はキノコ狩りや栗拾いが楽しめる季節ですが、今年は熊の被害が恐ろしく、慣れた方でもおいそれと山に入れませんね。
山の食べ物が少ないから庭先に放置されている柿の木が狙われるそうです。
どうせ放置してるんだから、「栗も柿もキノコもあげるから人は食べないでね」とか言えたらいいのに。食べきれない食物あげられたらいいのに。熊語翻訳機できたらいいのに。
とか思ってしまいますが、いえいえそんな話ではありません。
熊にしたら生きる為に必死です。人間だって喰えるなら喰うのです。私がスーパーで買おうとしていた松茸は中国産、食料品の値上がりは世界中で起こっているし、それ以前に戦争や災害で飢えている人間すらいる。
世界中の事を考えると頭がパニックになるので、取り敢えず自分の事だけ考えると、自分の食べるものを自分で確保できていない!日本の国内産ですらない。これは、もしかしたらいずれ日本人絶滅に向かっている危機的状況かもしれません。人に危害があるならば、もう熊との共存は無理なのでしょうか?
こうやって人は他の野生動物を滅ぼしていくしかないのでしょうか?
人を含め、全ての生きものが自然から生まれたのに、人は母なる自然を経済効果のために貪り食う妖怪になってしまっている気がします。
例えば、国土の狭い日本で熊の生息圏を少なからず奪ったゴルフ場建設や高速道路は人間が生きる為にどうしても必要だったのでしょうか?
開発を急げば急ぐほど,終幕もまた、早まる気がしてしまいます。世界中でも自然の豊かさでは、随一と言われる小さな国。
日本は、自然との付き合い方を良く知っていた。それが戦後の西洋化で、島国であるにも関わらず大陸並みの開発に勤しんでしまったけれど、今残っている美しい風景は少しでも長く次世代に繋いで行きたい。
日本中が自らの豊かさに気づいて、自然の宝庫の山、清流、そこで暮らす動植物をもっともっと大切にして、誇りを持って暮らしを育んでいけたらと願わずにはおれません。
牛女
- 葉月〜長月の頃 (9/30/2025)

葉月〜長月の頃
新米の美味しい季節となりました。
毎年この時期はちょっと贅沢して高いお米の新米を食べていましたが、今年はもう新米なんて無理〜という感じです。どうしてこんなにお米の値段が高くなってしまったのかしら?
温暖化でお米が不作? 輸送費が高い?
テレビのニュースで、定食屋さんが安いメキシコの輸入米で対応し,食べてる人達も「全然変わらないです、美味しいですよ」と言っています。温暖化なら地球規模の不作のはずだし、地球の裏側から運ぶ方が輸送費も高いはずなのに日本で売られる米は外国産のほうが安い。
円高だからなの? それが経済というものなのかな? なぜ?がいっぱいのお米価格。
政府は備蓄米を少し安価でだしてくれたけど、備蓄米ってそもそもなんですか? 価格が上がった時用に備蓄しているのでしょうか? 備蓄米を備蓄しなかったら災害時とか、絶対にあってはならないけど戦争とか、大丈夫でしょうか?お米が高いからパンや麺類に変えている方も多いと聞きますが、やはり炊き立てご飯に生卵は日本人の醍醐味。毎年黄金の稲が実りそれが家族の食卓へやってくる。なんという喜び!味噌汁とご飯と漬物があれば、私は生きていける。美味しいことは幸せです。炭水化物ダイエットなんて絶対にできません。例え豚の様になってもお米は食べたい。
そして、日本にとってお米は主食というだけではなく国土保全としても大切だとされています。
山間部の美しい棚田も富士山を臨むゆったりとした田んぼの風景も、外国人観光客のための観光名所ではなく、自然と日本人をつなぐかすがいのようなもの。そこには是非お金をかけても守りたいもの。政府の対策、備蓄米放出ではなく、農家から高く買取り安価で国民に供給する。田んぼを増やして米自給率をせめて60%くらいにはして欲しいなあ!と私は思うのです。
牛女
