リレーエッセイ 小さなまほろばみぃつけた
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vol.04 宝箱 [著]豪徳寺の散人さん

表に紙が貼ってあり<たからばこ>と書いてあります。何を入れてあったか思い出せず、ちょっと期待を込めてフタをあけてみました。 入っていたのは、無くしたと思っていたお気に入りのミニカーが5台、当時は珍しかったであろう色つきのビー玉が6個、8色ボールペン、セミの抜け殻2つ、そして石鹸の入っていた紙箱が1つ。

今では世界に誇る<トミカのミニカー>ですが、1970年頃はアメリカの<マテルのミニカー>が大人気で、専用のコースみたいなものも売っていて、それを使って走らせるのが流行っていました。ちなみに、当時の国産ミニカーに比べると、マテルのミニカーはチョッと押すだけで、距離が長く走りました。

そして色つきビー玉。今ではカラフルなビー玉は普通ですが、当時のビー玉は黒いような緑色で、地面に並べてカーリングみたいにぶつけて遊んでいました。サイズは1センチくらいの小玉と2センチちょっとくらいの大玉がありましたが、「宝箱」入っていた色つきは小玉サイズでした。

8色ボールペンというと、すごく実用性がありそうですが、思っていたより使いにくい。太いので持ちにくいし、書きにくい。20色くらいのを持っていた友人がいましたが、まるでハンドマイクみたいだったような記憶があります。

セミの抜け殻なんて、夏になれば当たり前のようにあちこちで見つけますが、たぶんセミ捕りに行ってセミが捕れずに、代わりに抜け殻を持ってきたんでしょうね。最近は土のある場所が減ったせいでしょうか、都心では鳴き声がずいぶん減ったような気がします。一説には脱皮直後をカラスに食べられている、とも言われてますが。

さて、最後の石鹸の入っていた箱ですが、何か軽いものが入っている気配がしてます。箱を開けて中身を確認すると、昔の牛乳ビンのフタに毛糸のヒモがついたモノが5個出てきました。フタの裏には花丸と『がんばりメダル』の文字が書いてあります。

これを見た途端に一瞬、心が小学校1年生に戻りました。

私の小学校1年の担任は当時40代くらいの<おかあさん先生>で、「能沢(のうざわ)先生」という名前でした。非常に優しい先生で、<先生>というよりも<おかあさん>みたいな感じで、近所のいた元受け持ち生徒のお兄さんも良い先生だと羨ましがっていました。その能沢先生が、週末の土曜日の帰り際のホームルームになると生徒の中から一人を選んで、「××くん(さん)、今週はがんばったわね」と褒めて首に「がんばりメダル」をかけてくれました。体育の時間に逆上がりができたとか、授業中に元気に手をあげたとか、当番を良くやったとか、理由は様々でしたが、一週間で一番頑張った生徒に<ごほうび>をくれたのです。

メダル自体は、当時当たり前だった給食に出されていたビン牛乳のフタに穴を開け、毛糸もしくはきれいなヒモを通したものに、フタの裏側に赤かピンクで花丸を縁取った真ん中に<がんばりメダル>と書いてありました。

残念ながら?私は一年間で5個がやっとだったのでしょう、貰えた理由を覚えていませんが、確か10個くらい貰った同級生がいたような気がします。しかし、貰えるということは嬉しかったし、褒められているのですから、同級生のみんなはメダル獲得を目指して頑張りました。他のクラスではやっていませんでしたから、当然のことながらうらやましがる連中もいて、貰った同級生のなかには他のクラスの友達に自慢するのもいましたっけ。

このような教育方法は現在の教育指針にそぐわないかもしれませんが、私にとっては良い想い出であるとともに、ささやかながらも努力が報われる実体験の勉強となりました。
運よく家の西側が隣の家の庭になっており、春夏秋冬とてもよく手入れをしているので、窓を開けて息抜きをしたり、洗濯物を干したりするときにチラッと盗み見をするのが、私のささやかな楽しみになっている。
先日もボヤーっと眺めていると、植え込みに一羽の烏が大きな鶏肉を加えて急降下してきた。そして、口に加えてきた鶏肉を植え込みの中に押し込み、せっせと周りの葉をちぎっては上に被せ、すっかり覆ってしまうと何もなかったかのように清まして飛び立っていった。 その話を隣の奥さんにすると「もって来ては隠すのだけれど、結局忘れてとりに来ないので、とても困っている」とのこと。

よく庭に穴を掘っておやつやおもちゃをたくさん埋めて、すっかり忘れている犬の話を耳にするが、子どものときの宝箱というのもそんなもので、いつの間にか忘れているのだが何かの拍子に目の前に現れる。そしてたいていは引越しだの、大掃除だの、猫の手も借りたいほど忙しい日に、ちょうど休憩する理由が欲しかったりする時に見つけてしまう。
取り散らかった床に小さなスペースを確保し、座り込んで懐かしい菓子箱の蓋を開ける。浦島太郎よろしく箱の中の思い出に引き込まれた心は、なかなか現実へ戻ってこない。今見ると実に屑の山でしかない。いたずら書きのようなものやリボンの切端、きれいな模様の包装紙、作りかけの人形なんかが出てきて、その一つ一つとおしゃべりしだすと、いつの間にか日も暮れ、気恥ずかしさに我に返る頃には現実の作業はまったく間に合わなくなっており、ひどく後悔する。

以前友人に断捨離をすすめられ、挑戦したのだが、同じような状態に陥り、結局何も捨てることができなかった。だから私の家の中も、頭の中も、心の中もいつもたくさんの物でごった返しているのだが、その一つ一つが時々私に話しかけてくる。その全てが楽しい素敵なことばかりではないのだけれど、悔しさや、悲しみ、苦しみ、怒りであっても、時がたってから何度も引きずり出して反芻していると、なんとなく折り合いをつけられるようになってくる。時というのはたいしたもので、ゴミ箱に入れて蓋をしていた出来事を、笑い話に変えてしまったりする。

結局、物というのは粗末にすればゴミになり、大切にすれば宝になる。気持ち一つでゴミの山は宝の山。
だから私はそんな物たちと付き合っていこうと思う。捨ててしまいたいものもいつかの再生を夢見て、ちょっと引き出しに押し込んでおいてみよう。どんなものもすべて今の私を作ってきたのに違いないのだから… と開き直ることにしたら、これが結構楽しいので、皆さんにもお勧めします。きっと何か素敵なエピソードが生まれると思います。

追記:
核燃料の廃棄物は、例え時の力をもっても再生できない。廃棄物処理方法の開発かゴミの逆襲か時間の勝負だと思うのだけれど…。

牛女

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